2009年05月24日

メリケンパークララバイ vol.9

メリケンパークララバイ vol.9


GTRは再び走り出した。


ヒトミは、迷いを断ち切るように力を込めてアクセルペダルを踏んだ。

バックミラーに映るボブの姿が、あっという間に消えた。



どうして?とヒトミは思った。

どうしてこんなに寂しいのかな?

まだ、新しい人生に向かってスタートしたばかりなのに。

すべてをリセットしたばかりなのに。

私、どうかしてるのかも。

きっとそうだわ、どうかしてるのよ。



まぶしく輝くベイエリアを、GTRは走り続けた。

鏡のような滑らかなボディに、通り過ぎるすべてのイメージを映して。


  


2009年05月24日

メリケンパークララバイ vol.8

メリケンパークララバイ vol.8







ボブの筋肉でできた岩のような身体を、
ヒトミはもう少し抱いていたかったが、

それはやはり危険なことかもしれなかった。

いつでもそれは女にとって危険なことだが、今は特にデンジャラスな気がした。

彼女の人生のなかでも、5本の指に入るくらい危険な感じだ。

1本目は・・・、いや、時間がないので後で思い出してみよう。

これだけは、時間がかかりそうだ。



「今はお仕事中?」と軽くボブの腰に手を置いたままヒトミは聞いた。

「まあね、一人逃げられてしまったが、どうせ遠くには行けないだろう。じゃあ、また逢えるといいね」

「じゃあ、またね。あなたと別れるのは寂しいけど、」

  


2009年05月22日

メリケンパークララバイ vol.7

メリケンパークララバイ vol.7


「できました、これで大丈夫です。

後でプロのメカニックに見てもらったほうが

確実かもしれませんが、当分は大丈夫でしょう」

「わあー、ありがとう」と言ってヒトミは、ボブに抱きつき、キスをした。

ボブは冷静を装っていたが、コートの下で胸がドキドキしているのがわかった。

意外に純情だわ、とヒトミは思った。
  


2009年05月21日

メリケンパークララバイ vol.6


メリケンパークララバイ vol.6






「38口径ですね」とボブは言った。


「原因は私の銃ではないようです。よかった。損害賠償を請求されるとこまりますからねえ」

「やっぱり」とヒトミは言う。

「とにかくパンクを修理しましょう。簡単ですよ」

  


2009年05月20日

メリケンパークララバイ vol.5

メリケンパークララバイ vol.5





ふいに、軽いショックがあって、クルマが右に傾いた。

ハンドルを力いっぱい切っても、クルマは右の方に流れて行く。

何が起こったのかわからなかったが、どうやらタイヤがパンクしたらしい。


さっきの銃撃戦の流れ弾があたったのかもしれない。

降りて見てみると、やっぱりそうだった。

気がつくと、横に誰かが立っていた。

「あなたは・・・?」

「ボブ・ガードナーです。フィリップ・マーロウという名前は著作権で保護されていますので

今は使えないのです」

残念そうだった。

手にはさっきの拳銃を握っていた。

硝煙が少し煙たい。



  


2009年05月18日

メリケンパークララバイ vol.4

メリケンパークララバイ vol.4



GTRは市街地を抜けて海岸線を走る。


この辺を走ると、ウエストコースの香りがすると、ヒトミは思った。

ウエストコーストに行ったことはないけれど、

何となくそんなテイストがある。



レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説に出て来そうな町並みだ。

パサデナとか、ロングビーチとか、そんな雰囲気だ。


その辺の路地の陰から、私立探偵のフィリップ・マーロウが出て来そうだ。

すると、いきなりハンドガンを手にした若い男が全速力で逃げ始める。

男は須磨駅の近くのコンビニの角を曲がり、路地の中に消えた。

マーロウは、無言で男を追跡する。

もちろん夏でも春でもコート姿だ。

逃げる男が、突然後ろを振り返って、マーロウに向けて発砲した。

マーロウは拳銃を抜き、素早く応戦する。

357マグナムの冷たく乾いた発射音が、あたりに響いた。

  


2009年05月17日

メリケンパークララバイ vol.3

メリケンパークララバイ vol.3




グッバイ、KOBEと、ヒトミは歌うようにつぶやいた。

アクセルを踏み込むと、街は飛ぶように彼女の視界の隅を流れて行く。

軽い小舟のように、GTRはクルージングを続けている。

まるで誰かの人生の軌跡をトレースするように、道はどこまでも伸びて行く。
  


2009年05月16日

メリケンパークララバイ vol.2

メリケンパークララバイ vol.2





さあ、出かけよう。


明日、また明日・・・。

まったく新しい世界が、私を待っているかもしれない。

少なくとも、今とは違う生活がはじまるだろう。



私は自由だ。

愛からも、絶望からも、幸福からも遠く離れて、

しかしいつかどこかで、私は何かを発見できるに違いない。



ヒトミはゆっくりとアクセルペダルを踏みしめた。


静かに、滑るようにGTRはKOBEの街を走り出す。

初夏の日差しが、アスファルトの地面を宝石のように美しく輝かせていた。


  


2008年06月29日

メリケンパーク・ララバイvol.1 

メリケンパーク・ララバイvol.1 
メリケン2008.6.29

どこに行くというあてはなかった。

ただどこかに行きたかった。

できれば世界の果てまで、行けるだろうか。



彼女のそばにいるのは、買ったばかりの赤いGTR、それだけだった。

世界に一台だけの、カスタムメイドのオープンモデルだ。



このクルマだけが、私をどこかへ連れて行ってくれるだろう、とヒトミは思った。



値段は1200万円、オープンカーにしてもらったので、

少し高いが、別れた彼の最後のプレゼントだ。



彼と別れてから、もう1ヶ月になる。

リッチなのが、ただ一つの彼の魅力だったが、それだけでは何か物足りなかった。

結局のところ、愛を交わすために存在する街で、

愛を使い果たしてしまったのかもしれない。



澄んだ、エメラルドブルーの空がどこまでも広がっている。

その下で、KOBEの街は少し悲しそうで、まぶしすぎるほど明るい。

全てをリセットするには、最高の日だ。



遠くから来た、見知らぬ貨物船が

汽笛を鳴らして出て行く。


彼女を祝福しているようだ。

6月とは思えない、乾いた爽やかな風が吹く。

それは、キラキラ輝くように、彼女の身体の上をやさしく通りすぎて行った。


<この物語はフィクションであり、登場する人物は実際に存在しません。>


presented by 古本情熱物語